ええ架空鉄道。 †解説 †日本架空鉄道協会(初代)が開設された1999年は、匿名掲示板として有名な2ちゃんねるが開設された年でもあり、鉄道趣味関係の板も比較的早い時期から存在していたものの、架空鉄道に関するスレッドは立つことがあまりなく、立ってもレスがたくさんつくようなこともなかった。 その2ちゃんねるにて、書き込みが何スレッドにわたっても続くような架空鉄道スレッドとしては、2001年8月10日に立てられた「ええ架空鉄道。」スレッドが最初である。 スレッドが立った当初は、VRSや日本架空鉄道協会といったコミュニティや、それに参加する架空鉄道のウォッチネタを中心に少しづつレスが増えていくような状態であったが、「911」によるVRSの閉鎖後、他サイトのウォッチングネタだけではなく、主にVRSに参加していた架空鉄道趣味者が固定ハンドル(コテハン)で語り合う場所としての色彩が強くなり、実質的にポストVRS時代における架空鉄道コミュニティの中心となった。 上記の流れは、コミュニティではなく、あくまでもポータルサイトとしての機能に特化した「架空鉄道NAVI」の開設にもつながった。 当時のええ架空鉄道スレッドのコミュニティとしての特徴としては、端的に言えば「架空鉄道の質」の向上に目を向けたことである。 そうしたええ架空鉄道スレッド上における議論は、架空鉄道制作における"質"(言い換えれば中身の濃さというべきか)の向上には大きく貢献したものの、反面、議論の内容が高度化しす過ぎてしまって、それに必ずしもついていけない架空鉄道趣味者を生み出す傾向もあった。 また、議論の内容が高度化するとともに、匿名掲示板にも関わらず、一部の固定ハンドル者が実質的にコミュニティを先導するような状態となり、固定ハンドルを名乗るほどの内容がある投稿ができないような者にとっては、そうしたスレッドのあり方に不満を持つような状況を作り出すことともなった。 そうした状況は、2002年4月24日にされた以下の書き込みをきっかけとする「コテハン批判」につながることになる。 ============= で、情操氏の件は”パイオニア”が罵ってなければ必然的に鍋or緑に登録となったはず。 コテハン批判の結果、固定ハンドルにて活動していた架空鉄道趣味者たちはスレッドを去る(もしくは匿名での活動に戻る)結果となり、VRS崩壊後実質的な架空鉄道コミュニティの中心であったええ架空鉄道スレッドはその地位を失い、再度2ちゃんねるの1スレッドに過ぎない存在となり、全盛期のような活発な議論が行われることも無くなった。 その後、「東海電鉄」サイトに「鉄道架空板」が設置され、以後暫くの間は鉄道架空板が主なコミュニティの場として賑わうこととなる。 関連ページ † 架空鉄道スレ まとめサイト 関連項目 † |